大きすぎる靴


「あまりに大きすぎる靴に足を入れるな」とは、わたしの思いちがいでなければ、たしかアラビアのことわざであった。これはよくある失敗の生活の説明である。高い地位においてさえこれはありうる。それは、このことわざのような事態から不確かな歩き方が生じ、それに気づいたひとびとにたえず信用の欠如が増して行くからである。( カール・ヒルティ ☆1 「眠られぬ夜のために」 より )

人間みんな、よりよい生活を夢見て生きている。住む家だって、着る服だって、いくらでも贅沢をしたい。よりおいしいものを食べたい。どこか、美しい世界へ旅行してみたい。それがあたりまえ。誰でもそれを求めて生きています。

そうやって、少しでも良い生活、すこしでもましな収入を求めて働く。そんなことをしているうちに、ヒルティ先生のおっしゃるような、自分には「大き過ぎる靴」をはいて歩いているような状態になっちゃうかもしれませんね。それが、分不相応に大きすぎたら、うまく歩けなくても当然です。

思えば調子が良すぎたもんだもんね。
テレビCMが毎日毎日こう言っていた。

頑張りましょう、働きましょう。ファイト一発。働いてお金を貯めよう。貯まったお金は使いましょう。借りてでも使いましょう。お金がなければ、黄色いカンバンがあるよ。疲れた時にはユンケル黄帝液あるよ。より大きな家に住みましょう。よりかっこ大きなクルマも買いましょう。みんなでスキーに行きましょう。ディスカバリー・ジャパンだ旅行しよう。

「大きすぎる靴に足を入れた」状態は大変です。余計な借金を背負って、余計な責任を抱え込んで。毎日毎日働き続けて。そして、いつか自分自身の「大きすぎる靴」のために疲れ果ててしまう。自分を大きく見せるにも限界がある。

そして今。状況はさらにきびしい。虚勢を張ろうにもどうしようもないじゃありませんか。全世界が経済危機の中にあり、エネルギー問題は未解決。国際的な紛争も絶える事がない。就職難。若者達が自分の希望する職種につくことが難しい。誰もが「夢を見る」ことは、許されない時代になってしまった。がまんの時代なのですね。サステイナブル。要するに「維持するもの」自体を小さくするのですね。

いいんじゃないかね。まずは「小さな靴」からはき始めても。どんなに小さな靴だって、それを履いてしっかり歩いているうちに、少しづつ大きな靴に履き替えていくことが出来るんだからね。とりあえず、身の回りの生活から見直してみますか。できるかな...

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☆1:この含蓄ある言葉を残してくれたのは、カール・ヒルティ。19世紀スイスの哲学者で、キリスト教信仰の精神に基づいた著書がたくさんあります。日本でも昭和に、この「眠られぬ夜のために」や「幸福論」の邦訳が出て人気となったかたです。今ではあまり名前を聞かなくなりました。どれも、良い本なのになあ。キリスト教徒ではない僕も、考えさせられるようなお話が書いてありました。

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