めかたで売るな


めかた〜でオトコが売れるなら、こーんな苦労も。
こーんな苦労もかけまいに。

映画「男はつらいよ」のオープニングで、私が思い出すのはこのフレーズ。作詞した星野哲郎さんが、この曲にこめた「男のつらさ」が凝縮されているような気がするから。「どーぶに落ちぃてーも、根のあるやつは」とか「今日も涙の陽が落ちる」など、他にも名フレーズがあるけれど、なぜかこの「めかた」の歌詞が好きです。

もちろん、寅さんの本当のメッセージは逆でしょう。「めかたで売っちゃダメ。男の価値はココだぜ(といって、胸をたたく)」というのが本心。売りたいのは「男の心意気」ですよ。男がめかたで売れるなら私も楽です。この数年はメタボ街道まっしぐら。「めかた」だけは、売るほどあります。キロ10万円とかマグロ並みに売れたら楽ですよ。でも、それでいいものか。現代社会は、男をめかたで売っていいのか。

このところ続けて「デザインという仕事」を考えてきました。話が右左にそれながらも、いきついたところは「創作の価値」なるもの。「創作の価値」は、時間単価ではかるものなのか、それとももっと何か別の尺度ではかるものなのか。デザインを「時間単価」ではかるとすれば、それは「創作活動をめかたで売る」のと同じ事。芸術的価値や創作物としての価値ではなく、モノとしての分量ではかるということだ。

つい10年前まで、花形だったWEBデザインの仕事も、いつの間にか「1ページあたりいくら」なんて形で売られる。雑誌や本のエディトリアル・デザインは本当に夢のある仕事。それを時間単価や、ページ数などで値段を決めるのはおかしいでしょ。なんとか、このモノをはかる「分量モノサシ」で、デザインをはかる流れは止めてほしい。論文だってページ数?

私が以前勤めた放送局でも、ある時不思議な事が起こり始めた。番組の制作単価が標準化されたのだ。テレビ番組というものは、その内容構成や制作手法などによって、制作経費に幅があって当然。それを吟味して予算をきめるべきだ。それなのに、標準単価表という「分量モノサシ」で、すべてをはかるシステムを使うという。こりゃもうだめだなー、と、私はその時に思いました。放送局ですら、番組コンテンツの価値をはかれなくなっている。

デザインの話にもどります。

時間単価や、ページ数、工程数などの「分量モノサシ」で、制作費用を見積もっていては、デザインの単価は下がる一方です。だって、以前にのべたように、すべてがスピードアップしているのですから。誰でも「量」は稼げる時代なのです。それをなんとか「質」としての価値、デザインの存在の価値に引き戻したい。残念ながら寅さんはもうこの世にはいない。できればかわりに言ってみたい。「おにいさん、デザイナーだろう。だったら作品をめかたで売っちゃあいけねえよ。なんてったて、クオリチーというものを大切にしなきゃあね」。

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