退屈しよう


あまりの忙しさに心も体もつかれた時。
そんな時に、疲労で固まった頭をときほぐして、「ほーっ」とできる本があります。

水木しげる大先生の「のんのんばあとオレ」です。どのページから開いて読み始めてもOK。どこを開いても笑えます。僕は、水木ワールドにしばらく触れないと禁断症状が出るので、定期的に「水木文献」に接するようにしていますが、数ある「水木文献」の中でも、最大の解毒と癒しの力をもつのが、この「のんのんばあとオレ」なのです。

昨夜も、なにげなくそのページをめくりました。

少年時代の水木先生がやっていた、大事業の数々が書いてありました。ガキ大将になり、子分をこき使って収集した大昆虫標本。300を超えたという新聞の題字収集。立体地形地図。ミカン箱に針金を張って作ったギター。小学校のコンクールで佳作をとった油絵。ご幼少の頃の水木先生は、当時有名になりつつあった、山下清画伯とならび称されるほどの神童だったのですよ。

小学生の時にすでに、こうした「大事業」をものにしていたのはなぜか?それは「境港の冬がひたすら退屈でしかたがなかった」からだというのだ。そりゃそうだ。境港のような山陰の街の冬は、長くうら寂しいものであったろう。ショッピングセンターもファミレスもない。テレビもない(ラジオはありました)。ゲームもない。ゲーセンもない。ネットもスマホもない。ないないない。子どもの娯楽はなにもない。

境港にかぎらず当時の子どもは、とにかく自分で「遊びを発明」しないかぎり、とても暇で退屈であったろう。そして時には、とても高尚な遊びも発明したのだ。話は違うが、こんな例がある。

夏目漱石や正岡子規が、お互いに交わした手紙などの内容を読むと、恐ろしいほどに教養レベルが高い。そもそも、夏目金之助青年が、自分のペンネームに中国の故事にちなんだ「漱石」とつけるんだから。神戸女学院の内田樹先生も、著書「子どもは判ってくれない」の中で、当時の若者たちの、こういうレベルの高さについて触れていた。

僕も昔、松山の正岡子規記念館を訪ねて驚いた。正岡子規とその友人が書き残した「落書き」がすごいのだ。それは、今でいうマンガのたぐいではあるのだが、内容が洗練されていて教養高いユーモアに溢れていた。おそらく、退屈な夜を過ごしながら残した落書き。それは、ちょっとした文筆家の草稿のようだ。

現代は、遊び道具がいろいろとある。
ゲーム。マンガ。アニメ。テレビドラマ。映画。DVD。ライトノベル。携帯電話。スマホ。

こういう遊び道具を使って、大人も子どもも「暇つぶし」をする。だから退屈はしない。退屈しないから、自分で遊びの工夫をしない。手近な遊び道具で遊ぶ。「エンタテインメント」といえば聞こえがいい。しかし安易な「エンタテインメント」は、単なる時間つぶしになる。それでは、大事な人生の時間がもったいないではないか。

退屈しよう。そして遊びを工夫しよう。
水木しげる大先生の幼少期のように。

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