初恋の来た道

チャン・イーモウ監督作品「初恋の来た道」。原題の意味は「私のお父さんとお母さん(我的父親母親)」というのだと、うちの研究室の中国人留学生が教えてくれた。「きれいなお母さん」も、本当は「きれいな大きな足」というタイトルなんだって。なんだって、こんなに変わっちゃうのかな。ちなみに「北京バイオリン」は「あなたと一緒に」なのだそうですね。

最近では、日本公開の洋画のほとんどが原題をカタカナにするだけになった。中国作品の場合は漢字だからそうもいかない。どうせ日本語に直すのだから、映画の主題が分かりやすく、あるいは親しみやすいタイトルに変えるのでしょうね。「初恋の来た道」は確かに、この映画の重要なテーマなのだけど、本当の主題ではない。(だからといって、この素晴らしい映画の価値が下がるわけではないけれど)


この映画は主人公・デイの映画。だから、若い頃の彼女から見ると「純愛映画」に違いない。でも、本当の主題は、長く長く連れ添った夫婦としての愛情の物語だ。40年間連れ添った、ご主人のことを思う、老いた母親デイとしての心情。そちらこそが主題だ。そして、それを改めて見つめる息子が、それを語る。だから「私のお父さんとお母さん」なのです。

チャン・イーモウ監督は、北京オリンピック開会式の演出として、世界中からいろいろな批判を受けてしまったけど、やはり映画監督としての腕は第一級です。この映画もそれを見事に証明しています。導入から引き込む、力強いストーリー。わかりやすく骨太の舞台設定。モノクロの画面から、光溢れるオレンジ色の麦畑への鮮やかな転換。撮影監督の経験もある、チャン・イーモウ監督だからこそ可能な、驚くほど美しいショットが山ほどある。日本でもこんな映像美を実現できる映画は少ない。

若いデイが、遠くの井戸まで水汲みに歩いて行く。それだけでもう一幅の絵になっている。瀬戸物の大ぶりの茶碗に、お焼きをつめたお弁当。それを布に包んで走るデイ。その構図、その色彩、あふれる光。思い詰めたデイの表情とともに、この映画のピークを形作る造形の素晴らしさ。人間の自然な感情として生まれる、恋愛感情とは、この大自然の中で生まれる宇宙のエネルギーなのだ。そんな風に感じるショットだ。

田舎の村にたったひとりの教師として赴任してきた父。いつも学校のことを心配し、亡くなる直前まで、新校舎建設のための金策に走り回っていた。その父のありし日を思い、村の伝統に従って送りたい母親デイ。その一途な思いは、若き日に恋人を待ち続けた時と変わらない。おばあさんとなったデイだけど、その心の中には、どんな若い娘よりも純粋で美しい心情が流れ続けているのだ。

人生というものは、長いようで短い。短いようだけど、思い起こせば無限のエピソードが。人々の心には思い出とともに、永遠に続く愛情が残る。悠久の大地に活きた「私のお父さんとお母さん」は、息子に対して、そっとそのことを教えてくれた。感動の一遍でした。


 

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