芸は身を助ける その2

九段の靖国神社。僕はあの場所が好きなんです。それほどの愛国者でもない自分がなぜ?理由はふたつ。大村益次郎の銅像が建っていること。そしてその頭や肩に、たくさんのハトが停まっていること。あの風景を見ていると、大村先生(こう、呼ばせてください)が僕に「日本は平和を守るように」と語ってくれているような気がするんです。

大河ドラマ「花神」。中村梅之助さんが、生き写しのようなメーキャップで、大村益次郎を演じていました。若き村田蔵六が大阪の適塾にて頭角を現し、ついに兵部省次官・大村益次郎となる。このドラマ、大好きでした。だから、僕にとって、大村先生は他人のような気がしない。望遠鏡を持って遠く(上野なんでしょうね)を見つめる銅像。その後ろ姿を見ていると、あのテーマ曲が聴こえてくる。林光作曲のあのメロディー。逞しいチェロの音色。ほんと良い曲だった〜。

ところで、あんな高い塔の上の立派な銅像って日本では珍しい。あれに負けないのはトラファルガー広場のネルソン提督像くらいじゃないかしら。(僕の知っている範囲で)なぜあんなに立派なのか。日本の近代化に尽力した大村先生。皆からとても尊敬されていたから。でもそれだけで、あんなに立派な銅像が建つものだろうか。ずっと疑問に思っていました。

今回「武士の家計簿(磯田道史著)」を読んで、その謎が解けた。あの立派な銅像の建立のために奔走したのは、この本で紹介されている、猪山家の跡取りだったのです。その名も猪山成之(いのやまなりゆき)という。彼はある理由があって、大村益次郎を特敬愛していた。だから靖国神社(東京招魂社)に、あのように立派な像を建てたのだった。

森田芳光監督によって映画化された「武士の家計簿」。1842年から1879年までの37年間、猪山家に伝わる家計簿(入払帳)が詳細に分析されている。信之(祖父)、直之(父)、成之(子)の三代にわたり、それこそ「饅頭ひとつの支払い」までが、記入されている。どうして猪山家では、こんなに精密な家計簿をつけ続けたのか。猪山家の「家業」は「算用者」。加賀藩の台所を預かる会計事務の専門家だったからです。

信之の代に、姫のお輿入れに関する功績が認められて、猪山家は知行取りに「格上げ」となった。とはいえ猪山家の「家業」はあくまで「そろばん」。その時点では計算のプロにすぎなかった。しかし「そろばん」という「芸」を磨き続けるうちに、猪山家は着実にチャンスを攫んで行く。

明治維新の動乱期には、各藩ともに軍事行動の出費が大きくなった。前線部隊を支える兵站の確保など、軍司予算の管理が重要任務となる。こうした時代のニーズを予見して成之を徹底教育した直之。その結果よろしく、成之は新政府軍務官「会計棟取」にまで大出世。つまり、兵部省次官である大村益次郎の右腕とまでなったのである。

成之は自分を重用してくれた、大村益次郎を師として心から尊敬していた。だから、その師が京都で凶刃に倒れた事を深く悲しんだ。だからこそ、あの立派な銅像を建立するために奔走したのだった。

「そろばん」という「芸(家業)」によって、猪山家の運命は躍進した。借金を抱えて没落したり、新時代の潮流に乗れずに消えて行った武家がたくさんあった中で、猪山家は「芸」によって、見事に生き延びた。ひとつの「芸」をひたすら磨くことが、いつか自分を助け、家族を守る。このへんの歴史的事実を「猪山家に伝わる家計簿」から解き明かした、磯田道史さんの仕事。本当にすごいと思います。

前回、「放送局にはいるための資格などない」ということを書きました。私の尊敬する藤原さんからFBにコメントいただきました。「新しいこと、最先端の仕事には、資格など用意されていない。そういう世界では、チャレンジすることが一番」。パズルや数学ゲームの世界で、最先端の研究開発をされている藤原さん。学生さんたちへのメッセージ有難うございます。チャレンジしているうちに、その過程で得たもの。それが「資格」であり「芸」ですよね。

大学は昨日でテスト期間も終わり、今日からはすっかり夏休み気分。しかし、「就活」という宿題をかかえた4年生にとって、夏休みといえどもすっきり気分で遊べない。「わーい」と開放感を味わえない。せっかくの長い休みなんだから、なにか自分の「芸」を磨くことに使ってほしいものだと思うのであります。どんあ「芸」でも、いつかきっと役に立ちますからね。

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