百年後に誰かが開ける


このカンは、内部を密閉することで紅茶を保存している。

僕たちは文章を書くことで自分の記憶を保存している。「記憶を保存する」て「食事を食べる」みたいで変です。でも茂木健一郎先生もいうように、僕たちの記憶っていうのは、結構自分の都合のよいように変えられてしまうものらしいから。

同級生みんなが尊敬している恩師が遺された研究ノートの表紙には「どんなに薄いインクでも記憶に優る」という文字がありました。たしかロマン・ロランの言葉ですか?

僕たちは、自分で保存しきれないほどの記憶や、あまり保存したくないような記憶も保存している。ブログとかメールとか、ツィッターとかたくさん文章を書く時代となりましたのでね。ひとりひとりの人間が考えたり、感じたりしたことを、日々電子空間(古い言葉!)に、知らず知らず保存している。そういうことだよね。

ヘルマン・ヘッセの「ヘッセ 魂の手紙 思春期の苦しみから老年期の輝きへ」という書簡集を手に入れました。この本は、先に出ていた「ヘッセからの手紙 混沌を生き抜くために」の続編として出版されました。全部で五万通(!)以上も残っているという、ヘッセの書簡の中から、問題児だった少年期や、ふたつの大戦の合間で苦しむ壮年期、そして静かで豊かな老年期と、年代とテーマにわけて編纂されている。

なんと、百年以上も前の、ヘッセの生の言葉がこうやって書き残されていて、ワタクシごとき凡人の手に渡って読まれているのです。人類の発明した「文字」というものの威力。紅茶のカンどころの保存能力とは桁違いに凄い。

この本の「芸術とは、文学とは」というコーナー。実に興味深いです。というかちょっと衝撃的。現代におけるネット上の攻撃や中傷と同じような、否定的な新聞記事に嘆いたり怒ったり。あるいは、芸術家の仲間への批評などがあります。こんな手紙の一通から、部分的に紹介させていただきます。

1937年1月21日・ペーター・ヴァイスへ。「あなたの作品は、まだ出版するという段階には達していないようです。美しい箇所やこれはと思わせるところは随所にあるのですが、まだ本当にあなたのものにはなっていません。(中略)そこでお勧めしますが、ほかの仕事のかたわらに文学創作の練習をつづけて下さい」

きびしい物言いのようだがヘッセの言葉は、実はいつもとても優しい。基本的には褒めた上で、人にものを言う。教師のカガミだと思います。このヘッセの態度は、少年時代から老年まで、一貫していて、相手が他人でも家族でも変わらないようだ。

上の手紙をもらったペーター・ヴァイスは、その後、ヘッセの言葉通りに精進したに違いない。ヘッセから「文学より向いている」と言われた、イラストやデザインの世界で一流となった上、その後は劇作家としてもセンセーショナルな成功を手にしたのだから。

それにしても、こうやって僕自身が書いてしまった駄文(ヘッセの引用を除き)ですが、いったいいつまで、保存されちゃうんでしょうかね。著名人なんかだと、メールまですべて後でまるごと公開されちゃったりして。ヘルマン・ヘッセご自身まで、友人や家族に宛てた書簡がこうやって残される。日本語に翻訳されてヘッセ研究の資料になるなんて思わなかったのではないだろうか。

僕のブログがヘッセの手紙のように、百年後に読者がいようとは思いません。でも、うちのリビングの片隅にあるカンの中の紅茶みたいになって、誰かが間違って開けてしまうということはあり得るぞ。百年後に誰かがいつか間違って。そりゃ大変だ、やはりブログに書く内容はよく吟味しなくちゃ。といいつつ毎日いい加減なことを書いている。


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