夢みたいなこと言ってんじゃないよ

リストラを生き残ってほしかった

「あんたの存在分だけ、コストが減るんですから、お引き取りください」

生存競争をしているのは、サツマイモや人間だけではない。映画の撮影に使われる「フィルム」も、いま大変な生存競争の中にある。しかも、かなり分が悪い。「フィルム」が戦っている相手は「デジタルシネマ」である。闘うもなにも、相手は「フィルムレス」なんだから、どうしようもない。より優秀なフィルムが出た、というならば、「よし、こっちももう少し改良してみるか」と腕まくりするだろうけど、そもそも「フィルムさん、あんたはもういらないんですよ」と来るわけだから、戦いようもない。 こう言われては、フィルムの立場はないです。フィルムにとって、なんとも辛い時代だろう。「あんたの存在分だけ、コストが減るんですから、お引き取りください」と言われては、もうおしまいだ。

すでに家庭でも、デジタル化の波は、たくさんのものを「絶滅」させている。35ミリカメラ用フィルムはもちろん、ビデオテープ、カセットテープなど、みんなすでに社会的立場を失っている。これから生まれてくる子供達は、ビデオテープを見てなんと思うのだろう。「お父さん、このセロテープ、糊がついてないよーっ」 とか言うのでしょうね。そもそもセロテープもあまり見ませんね。だいたい、切ったり貼ったりする「紙」が減ってるんだもん。これからは、小学校の図工の時間なんかも、PC画面でやるようになるのかね。そうすると、ハサミもセロテープも廃業ですね。

「去る者日々に疎し」

昔から、古いものは新しいものにその座を明け渡すのが運命。古い物は、いつか忘れ去られて、消えていくものなのですから。映画のフィルムの絶滅は、もうほんとに止められないと思う。信じられないことだ。やっぱりどうしても、映画のフィルムが消えてしまうなんてことは、想像もできない。これから生まれてくる子供達は、すべての映画をデジタルシアターで見る。だから、相当数の映画は、デジタルリマスターされないままに、私たちの目の前から消えてしまうのだ。映画「サイド・バイ・サイド」を見て勉強せねば。☆1

「いまの子は、夢を見られなくなったのかもしれない」

美術大学に勤める友人と最近の学生の話になった。最近の学生たちは、何か大きな「夢」を追いかけて、じっくりと作品に打ち込むってことができない。なぜならば、今の学生は、すぐに目先の成果を気にする。作品は、デジタルデータでささっと作り、それを簡単にネットに上げたりして満足している。デジタルのせいで「大きな夢」を見なくなった。

「昔なら」と、彼が続ける。「売れるようになるまで、時間がかかって当然だし、それまでの長い期間夢を追い続けて自分を磨く時間があったですよね」 聞けば彼は今年、33歳だって。若い彼がこんなことを言うということは、こうした「変化」はここ最近、急激に起きているということだ。私自身も、最近の学生と接していて、同じ実感がある。デジタルのせいで、みんな気が短くなっている。

そこにまた、キビシイ「就職状況」が追い打ちをかける。いまの大学というところは、「就職のための準備」みたいなところもある。じっくりと作品を作ったり、自分を磨いたりするというよりも、てっとりばやく、社会的ポジションを見つけることが優先する。身の丈の会社を選ばないと、「夢みたいなこと言ってんじゃないよ」と叱られたりする。

就職戦線の激烈化とともに、情報のデジタル化。このふたつが相まって、若者から「夢を見る権利」を奪っているのだとしたら、本当に申し訳ない気がする。どちらも、私たち世代が一生懸命作り上げた社会の成果なのだから。

役に立たないモノ、役に立たない価値観は捨てられる社会。そういう社会と関係なく、自分「夢」を持ち続けるためには、今の社会的価値観と逆の行動をするしかないのかもしれない。案外、オタク的行動というのは、「夢を見続ける」ために有効な行動様式かもしれません。いずれオタクの中からこそ、大器晩成の大物が生まれる?今日もまた、ちょっとばかしオタクの肩を持つ結論に至りました。

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☆1;映画「サイド・バイ・サイド」予告編

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