樹木のように生きられたらいいな


私の家の前にはおそらく樹齢200年はこえている立派なケヤキの樹がある。その樹の枝がばっさりと切られてしまった。近くの電線を巻き込むような形で枝が伸びてきて、さすがにキケンな状態だったので、冬に植木屋さんがはいった。巨大なマッシュルームのような樹形だったのが、葉っぱをむかれたブロッコリーのような形になってしまった。

剪定が終わった当初は、枝もすくなくてとても心配しました。もう葉っぱが生えてこないのではないかとか、枯れてしまうのではないかとか、ドキドキしてしまいました。特に二本のうち奥の方の葉っぱの出方が遅いので、もしかしてダメになったのではないかと、ほんとうにヤキモキしました。

しかし、こちらの心配もよそに、二本のケヤキの樹は、いまや盛大に葉っぱをつけました。また少なくなった枝のところも、どんどん新しい枝が生えてきていて、きっと数年もすれば、もとのような巨大マッシュルームに戻りそうな勢いです。よかったよかった。

こうして観察していると、本当に「樹木」っていうのはすごい!って思います。どんなことがあっても、黙って生きていく。誰に声をかけられるでもなく、表彰されるでもなく、しっと何百年も立ち続けている。そしていずれは、建材となったり燃料となったり。何億年も先にはガソリンになったりね。たいしたものです。

その点、人間などというものの体はちっぽけなものだそうです。人間の体から、いろんな成分を取りだしたところで、マッチ箱一杯分のマッチを作るだけのリンとか、石けん一個とか、スプーン一杯のカルシウムとかしか取れないのだそうですね。

人間というもの「精神的な活動」をのけてしまったら、何も残らない。体を構成する成分はちっぽけだけなもの。しかし、精神的な能力は他の生き物とは比べものにならないほど恵まれている。これは、とても幸せなこと。

だから「禽獣みたいな生き方はやめなさい」と、お釈迦様は教えてくださったわけだ。僕たちはケヤキの樹とちがって、再生もできないし、家を作る材料になることも出来ない。獣のように草原を疾走することもできない。だけど、考えたり想ったりすることができる。この能力を大事にして、人生の時間を大切にして生きなさいって。

今夜、水彩画に描いてみたのは、メタセコイヤの葉っぱです。可愛いでしょ。ところがこの葉っぱ、意外とくせ者。秋になるとばらばらに散って、まるで切り刻んだ紙くずの集団のようになる。そしてあちこちにへばりつく。大学の研究室がある建物の前にあるので、これが学生さんたちの靴底にくっついて、研究室にまで入り込んでくるのです。

その厄介者も、いまこうして春先に見てみると、本当に愛らしい色と形をしています。指でさわってみると、チョコのパッケージに敷かれたつめものみたいな感触。色も、透き通ったグリーンがとてもきれい。しかも、どこか本体であるメタセコイヤの樹形にも似ている。樹木って不思議だ。

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