ビスケットを食べる生き物について

カボチャのビスピー

自分自身で栄養を作り出すことはできず、他の生物のから栄養をうばって生きている生き物を「他家栄養生物」という。ビスケットなどを食べて生きている私は、この「他家栄養生物」の陣営に属する生き物である。ほかの陣営はというと「自家栄養生物」という。

この「自家栄養生物」の陣営で生きている生物は、どうやって栄養を作り出しているのか。彼らは、大気中の二酸化炭素などの無機原料から有機分子を作っているのだ。太陽のエネルギーを借りて、光合成をおこなって「生き物でもなんでもない」分子を組み合わせるという労働をしている。誰のために?生き残るために。

地球上にある35億年前の地層から、既にこのふたつの種類の生き物の痕跡が見つかっているそうだ。(☆1)人間は「自家」の連中から栄養を奪い取って生きる「他家」の陣営の頂点にいるわけだ。この大きく分けて二種類の生き物、どっちの生き方が楽なのだろうか?

いつだって、太陽エネルギーと水と、大気中の分子さえあれば、命をつないでいける「自家」のほうが生き方としては確実だろう。飢える心配がないのだ。しかしどうだろうか。その生き方って。毎日毎日絶えることなく、物質から有機体を作り出す重労働を続け、成長を続けなければならない生き方。

一方の「他家」のほうは、こうした「自家」の連中か、あるいはそれを食べた連中を追いかけなければならない。自然の中にいるやつを捕まえるか、畑で育てたり養殖したり、面倒をみなければならない。こちらもこちらも、結局は重労働だ。

「他家」の頂点にいる人間だけが「心」というものを持ったのはなぜだろう。「自家」のほうの頂点。たとえば、メタセコイヤのような最も巨大な樹木は、なぜ「精神的活動」を持たないのだろうか。野菜が考え事をしたり話したりしないのはなぜなのか。

もしかすると、やつらは本当は話が出来るくせに隠しているだけかもしれない。ロード・オブ・ザ・リングのパート3では、たしかでかい樹木が話したり歩いたりしていたぞ。もしも、カボチャ畑のようなものが、考え事をしたり、しゃべったりしたらどうだ。われわれ人間とカボチャ畑の間で、FTP協定のようなものが結ばれるのかもしれない。

われわれ人類はカボチャ界の人口減を考慮し、本年度のカボチャ消費量を前年度比60パーセントとする。そのかわりにカボチャ界が利用できる耕地は、20パーセント返還されたし。みたいな協定が結ばれるのかも。

いま改めて人類が、35億年前の進化のスタート地点に戻ったとする。神様から「どっちの陣営がいい?」って聞かれたら、人類代表はなんて答えるかな。現代日本の草食系男子なら、「自家栄養生物」になりますって答えるのかもしれない。気楽だし、転勤とか出世競争もなさそうだし。毎日光合成してれば、日光浴もできて楽しそう。

今夜水彩画に描いたのは、サンマルク・カフェのコーヒーとビスピー(ビスケット)である。ビスケットは、東北の復興のために企画された商品とのことで、岩手の南部せんべいの製法でつくられている。おいしかった。グリーンのカボチャのたねがキレイで、また香りが良かった。特に意味はないが、茗荷谷駅前店であったことを付け加える。

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☆1:フィリップ・ボール著「水の伝記」
H20 :Biography of Water by Philip Ball
P185

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