西鶴一代女


紅く色付いたツタの葉を見ていると、年月の移り変わりというか、大げさに考えると人生の流転のようなものを感じる。

「西鶴一代女」は、溝口健二と田中絹代の名を世界に広めた日本映画の名作。井原西鶴の作品「好色一代女」から題材を得たものだ。そのストーリーは、まさに流転の人生そのもの。幸運と不運が、あざなえる縄のように次々とやってくる数奇な運命。

宮廷に働く身でありながら、公卿の勝之助に言い寄られたのことがもとで、両親ともども都を追放となる。しかし、そこで認められて、藩主の側室に大抜擢。晴れて若君を産むのだが、その後すぐに殿様と引き離されてしまう。放浪の日々と浮沈の繰り返し。ついには最底辺の世界へと身を落とすことに。

いやまあ、こんなに大変なことが、一人の女性の身の上に起こるものだろうか。これだけ波瀾万丈な人生もあるのもかと、ちょっと訝しい気にもなる。しかしこのストーリーの軸には、どこか説得力がある。

それは江戸時代までの女性たちには、常に起こり得る事件ばかりだからだ。宮廷での女性たちは、更科日記などに残されているとおり、恋愛や嫉妬がないまぜとなり、得意と失意が裏腹の、意外に不安な毎日を過ごしていたようだ。

また、側室として殿様に仕えるようになっても、その運命は定まらない。若君を産んでいずれ権勢を欲しいままにする方もあった一方で、母親になった途端に里に帰されてしまう不幸な例も多かったそうだ。人間の幸せよりも組織の対面を重んじる時代だった。

先日より、このブログで紹介している「殿様と鼠小僧」によると、松浦静山の母親も、こうした不幸な方だった。民間からの出身であったため、産後すぐに城を追い出されてしまった。幼い静山は叔母にあたる女性に育てられた。


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