明治44年に大学は出たけれど

熟成18年
夏目漱石は、小説のみならす、講演の名手でもあったそうだ。明治44年に明石で開かれた講演会の内容が「道楽と職業」というタイトルで出版されている。

その中で、大卒者の就職難に触れている。当時の大卒者の数たるや、現在とはまるで違うだろうし、社会における職業のあり方も全く異なったはずた。しかし大卒者にとって、就職というものが簡単ではなかった。この点だけは、現代と似た状況であったようだ。

漱石は「最高等の教育の府を出」た若者たちが、「何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている」。「三ヶ月も四ヶ月もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく」しているものや、ひどい場合、「一年以上も下宿に立て籠って」いるものもいる、と嘆いている。

「職業の種類が何百とおりもあるのだから」どこかに決まりそうなものだが、「ちょうど嫁を貰うようなもので」、「いくら秀才でも職業に打付からなければしようがないのでしょう」。もっともな話である。

今で言うところの「就職のミスマッチ」と似ている。明治44年というのも、ちょうど今のように大卒者向けの求人が不足していた時代だったのかもしれない。

社会が安定して経済的に発展する時代には、働き口は潤沢にあって、逆に人出不足という事態が生じる。その逆に、新しい技術によって社会構造が変わり、経済の構造が変わる時、こうした職業のミスマッチが生じるのではないだろうか。

明治後期に日本は西洋の産業革命を受けて、機械化が進む社会の第一歩を踏み出した。それによって職業の種類や社会構造も激変。大卒者など、エリートの役割も変わっていった時代なのだろう。

現在の情報社会の革命が、将来どのように総括されるのか今は分からない。確かなのは、ちょうど明治時代のように、社会構造や職業観が大きく変わっているということ。だから、これからどういう人材が必要になるか分からなくなっているのかも。

時々だが、求人要件の中に「人柄重視」ということばを見かけることがある。いま流行っている技術や学問は、いずれは古くなるかもしれない。

となれば、まずは人柄がしっかりとした、誠実な人を採用しよう。そういう考え方もありではないでしょうか。何年かかってもいい。いろいろと苦労などをしながら、長めの時間で熟成された人材をね。

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