ゆらゆらの存在価値


三郷公園近くの金魚園で、まるまると育ったリュウキン。リボン結びみたいな体型、目も大きくて、まるでアニメキャラみたい。可愛いけどちょっと泳ぎづらそうですね。人間が品種改良を重ねた結果、このようなゆるいお姿に相成られたのですね。
金魚という種にとって、これもひとつの有利な進化なのでしょう。
保護者である人間が絶滅してしまったら、彼らはすぐに自然淘汰されてしまうでしょう。猫よけのネットで覆われた金魚池を見ることがありますが、自然界で生きていこうとしても、無駄に目立つ色なので、まっさきに捕食者に見つかってしまう。
人間が彼らを無理やりに進化させたとも言える。
彼らが人間を使って、自分たちを進化させようとさせたとも言える。
人間と金魚の相互依存関係を考えると面白いです。
でも人間は、金魚の持っている「なに」に依存しているのでしょうか?
投機的価値?お金儲け?
希少種が投資対象となることもあるけど、たいがいの金魚は、たいした値段がしなくとも大事に飼われています。
観賞用?
金魚って見ているだけで楽しいです。「鑑賞魚」というからにはズバリ「鑑賞」が目的。しかし、僕たちはその「観賞」によって、一体何を得ているのでしょうか。
ゆらゆら?
僕たち人間が、金魚からいただいているもの、それは彼らの「ゆらゆら」ではないでしょうか。無目的な感じで、ゆらゆら泳いでいるあの姿。あれが、僕たちの心を静め、癒やしてくれる。そうだ、彼らの存在価値は、きっとそのゆらゆらにこそあるのだ。平和な生活の中に金魚鉢。そのミクロワールドの中で、ひたすらゆらゆらしている。それが無上の価値を生んでいるのではないでしょうか?
ゆらゆらしてるだけ。
そこに人間は引き寄せられるのかも。
そう考えると、金魚というのは、本当にエリート生物ですね。高等遊民。仕事もなく、打ち合わせもなく、そもそもスケジュールもない。ゆらゆらしているだけで、人間という保護者がエサを貢いでくれるし、進化も手伝ってくれるのですから。
いいなあ。金魚。

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