カバの神殿

信仰の形としてのカバ

偶然だが、国立新美術館で開催中の「ニキ・ド・サンファル回顧展」を見た。素晴らしかった。やはりアーティストというものは、これくらい精進しなければならないという見本のようなものかな。精進というとちょっと違うのだが、若くして芸術家を志した頃から徹底的に自分を精神的に追い込んで、そのギリギリのところで炸裂する創作活動。その軌跡がそのまま残されているような、すごい回顧展だと思った。

会場でおゆるしを得て、数枚ほどスケッチをさせていたいた。さすがにインクのとぶペンは使えないので、ひさびさにエンピツを握ってスケッチをした。なんだか美大生になったみたいで、新鮮だった。今回の展示では、のびやかで陽性な「ナナ」シリーズのコーナーがもちろんメインなのだけど、それに続く「ブッダ」のコーナーのエネルギーも凄い。

前半で、ニキの若い頃の鬱屈した想念が画面にこびりついたような作品群を見たあとだけに、この最終コーナーの底抜けの明るさと、色彩の輝かしさは、泉の湧き出るオアシスのように感じられた。このアーティストの晩年のクライマックスなのだけど、日本人である私にもとても親近感が感じられた。

エジプトの神殿から抜け出てきたようなカバの彫像。からまってエネルギーを放出するヘビの樹木。インドのゾウ神のように踊る立像。そして、大仏を表現した巨大な「ブッダ」の座像。この世界になると、もう「宗教」的なイコンである以前に、アートとして自立した存在感に溢れていて、見るものとしては、自分の精神まで解き放たれたような気分になる。

こういうのを「多神教的」というのだろうか。そういえば台湾で見た寺院でも同じような感覚を持った。見知らぬ神様たちが鎮座しておられるのだが、なぜか自然な親近感がある。日本と同様に、多種多様な神がさまざまな形で奉られている。日本の神々よりもカラフルでエネルギーに溢れているが、それも大して気にならず、僕自身も手を合わせて拝むのが自然に感じられた。

台湾にしても日本にしても、寺院の祭壇に飾られている姿は違っても、そのむこうにあると信じられているものは同じなのではないかと感じた。僕たちは、それぞれ自分たちが理解できる形でしか信仰心というものを表現することができない。ニキ・ド・サンファルの作品もそのとおりで、彼女がその「造形的表象」の向こうに見ていたものは、案外僕たちが心に持つものと同じだったのではないだろうか。


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