詩仙堂



徳川家康の家臣であった石川丈山は、少年の頃から軍功を挙げるため武芸を磨いていた。その甲斐あって家康の側に仕えることができたのだが、肝心の関ヶ原の戦いでは、その血気盛んな性格が災いして判断を誤った。

武功を焦るあまり、軍規をやぶる早駆けをしてしまったのだ。それを家康から叱責された丈山は、山奥の詩仙堂に身を隠した。その後は一生隠居として暮らしたというから、サラリーマンでいえば部長昇進間近に早期依願退職したようなものだ。

90歳まで長寿を全うし詩歌三昧の生活を送っていた。ここ京都郊外に過ごした後半生は静かで幸福な毎日だったことだろう。もしも逆に、そのまま武士の生活を続けていたら、なにかの拍子に早死にしてしまったかもしれない。

早期退職して趣味三昧の生活も悪くない。これからは、定年延長と生涯現役の時代といわれるが、なかなか判断が難しいところだ。



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